広報かのせ(昭和30年代)



【広報かのせ6月号】 昭和31年(1956年)6月1日 第1号


日出谷地区 水沢分館の紹介記事

【広報かのせ7月号】 昭和31年(1956年)7月1日 第2号

鹿瀬地区「赤崎分館」として紹介された写真


豊実地区 離石の渡し舟の紹介記事

【広報かのせ8月号】 昭和31年(1956年)8月1日 第3号
当時の東蒲史上最悪とされた7/15〜の豪雨による未曾有の大水害の模様を伝えています。

潮流に洗われた耕地の決壊(鹿瀬地区下島〜大船場に至る600m)

流失した耕地に茫然と佇む農夫(鹿瀬地区)

危険に瀕した町役場(18日午前5時)

氾濫した馬取川(豊実地区馬取部落)

流失を免れた民家(鹿瀬地区赤崎)

惨禍の麒麟ぺントナイト工業と流失した城山橋
※手前側が鹿瀬?

濁流堤防を越えて耕地に浸水
(深戸地区)

鹿小1F設計図
図面左方向が北

鹿小2F設計図


鹿小3F設計図
2ページ目に掲載された鹿瀬小学校増改築工事の平面図(昭和31年7月21日起工)。※北に隣接する鉄筋3階建て校舎は鹿実谷村合併前に完成済。


【広報かのせ10月号】 昭和31年(1956年)10月1日 第4号
吊橋付近で開催された花火大会


【広報かのせ新年号】 昭和32年(1957年)1月1日 第6号
表紙一面にスキー場の写真。
どうやらここは天名スキー場のようです。
当時の天名スキー場にはジャンプ台やロープウェーなどもあり、大きな大会も開催されていたと聞いています。


【広報かのせ4月号】 昭和33年(1958年)4月1日 第14号

鹿小 旧体育館
(右側は新校舎)
昭和31年7月21日に起工し昭和32年6月末に増改築が完工した鉄筋3階建ての新校舎に続き、県から「危険校舎」と指定され改築を急がれる鹿小旧体育館。

※「鹿瀬小学校」は昭和5年に建設

※「かまぼこ型屋根」の新体育館は同33年12月10日に竣工


【広報かのせ9月号】 昭和33年(1958年)9月1日 第17号
鹿瀬小学校の屋内運動場改築のため7月25日に着工した事を報じています。

解体された鹿小 旧体育館

新体育館平面図
(図面左方向が北)

←新体育館の着工を伝える記事

麒麟山温泉小唄
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【広報かのせ9月号】 昭和33年(1958年)9月25日 第17号(水害号外
9/20の台風21号による甚大な被害を号外で伝えています。鹿瀬町は度重なる水害に屈することなく、逞しく、誠実に乗り越えてきたのだという事を改めて実感させられます。

流失した角神の東信橋

鉄道が不通となり被災地へ資材を運ぶガソリンカー

東蒲交通ののど首ともいわれる(現在の麒麟橋より上流に位置していた)

姿一変した松仙閣の減水後の惨状

鹿瀬地内大船場付近の決壊した堤防の一部

崩壊寸前の鹿瀬駅前の民家

惨禍の中から早くも立ち上がった湯の浦温泉でのブルドーザの活躍

激流に洗われ石川原と化す平瀬地内向島付近の耕地

実川島部落の
消防屯所

橋上12尺の濁水から姿を出した変り果てた実川島橋

右上)延々1Kmに渡り激流に洗われ不通となった実川島付近の磐越西線
左上下)黄金の波も一瞬にして石川原となった水沢地区下日出谷の水田

一瞬の内に泥水の中に孤立した町役場。点線は最高水位(午後5時20分)
上)電柱は倒れ、水田は砂利原となった実川島部落の耕地

下)一面泥田と化した鹿瀬地内石平付近の耕地

延長100mに渡り決壊した鹿瀬小学校校庭


【広報かのせ12月号】 昭和33年(1958年)12月1日 第19号

11月12日に見事に完成した日出谷地区当麻公民館

鹿瀬〜津川間をつなぐ城山橋竣工の記事

11月20日に竣工した城山橋。9月に麒麟橋が流失した現在、町唯一の幹線橋となる

天名スキー場にロープウエー着工。完成予定は12月15日


【広報かのせ5月号】 昭和35年(1960年)5月1日 第28号

鹿瀬中学校増築工事請負の記事

鹿瀬中学校の
増築予定地

鹿瀬中学校
増築平面図


【広報かのせ7月号】 昭和35年(1960年)7月1日 第29号

増築中の鹿瀬中学校

完成間近の日出谷プール

完成した水沢橋


【広報かのせ12月号】 昭和35年(1960年)12月1日 第31号

鹿瀬中学校増築工事竣工

理科室の一部

音楽室の一部

校舎北側の一部

日出谷小中学校に遊戯施設設置

日出谷小中学校の遊戯設備


【広報かのせ9月号】 昭和36年(1961年)9月1日 第34号

上棟なった日出谷中学校

竣工間近い鹿小給食室の内部

鹿小給食室工事現場


【広報かのせ1月号】 昭和37年(1962年)1月15日 第35号

町の人口(1/1付)
男:4919名
女:5262名

竣工なった日出谷中学校校舎全景

日出谷中学校生徒図書館の一部

完成した豊実中学校家庭科教室


【広報かのせ10月号】 昭和37年(1962年)10月1日 第39号

鹿瀬側?

日出谷側?

完成まで約1500m
【記事抜粋】 昭和28年より着工いたしました津川日出谷停車場線道路工事は、その後国及び県の負担工事として継続されて工事がすすめられ、現在では全工程の3分の2が完成し、あと1500mを残すのみとなりました。工事は現在3か所においてすすめられ、鹿瀬側からは角神字松ヶ崎から荒戸沢までの間約150m、日出谷側からは字下日出谷約960m。あと1カ所は旧日出谷村と旧鹿瀬町との境界線から約700m鹿瀬側に入った地点において隊道(水無トンネル)工事が冬場を前に急ピッチですすめられています。・・・


【広報かのせ12月号】 昭和37年(1962年)12月1日 第40号

明年度改築を予定される幼稚園舎


【広報かのせ6月号】 昭和38年(1963年)6月20日 第42号

第四回鹿瀬町体操祭

撮影場所不明
(堂島付近か?)

翌年の国体開催地

温泉開さく工事着工。国体(登山競技)受入にも大きな役割


【広報かのせ9月号】 昭和38年(1963年)9月1日 第43号

電工病院竣工は11月(竹田病院電工分院として)

実川分校に特別教室


【広報かのせ10月号】 昭和38年(1963年)10月1日 第44号

県道工事角神まで650m

行くてはばむ岩盤と地すべり


【広報かのせ12月号】 昭和38年(1963年)12月15日 第46号
(記事抜粋) 1月13日から再び降り出した雪は積雪3.9mに達し、国鉄支援のため町消防団が出動してようやく窮状を脱した。


【広報かのせ11月号】 昭和39年(1964年)11月1日 第51号


【広報かのせ12月号】 昭和39年(1964年)12月1日 第52号